このサイトに立ち止まってくださり、ありがとうございます。
ここでは、私自身がしてきた仕事を手短に紹介します。しばし、私が主役の文章におつきあい下さい。
私は生れも育ちも南カリフォルニアの海岸近く、常に海になじんで成長しました。父は映画カメラマンで、そのせいか、私自身も幼いときからカメラを仕事にしたい思い切なるものがありました。十代の半ばになるまでに、白黒写真ではかなりの実績を積みました。
しかし、1960年代半ば、大学入学頃から私はずっとカメラから離れ、放置していました。70年代末になって再びカメラを手にました。
1979年から日本に住み始め、日本の制作プロダクションが海外取材に出る際のコーディネートを仕事にし始めました。その傍ら、フリーの「フォトジャーナリスト」の看板が雑誌界で通用するようになりました。
自分の中で「これだ!」と稲妻のように弾けた仕事スタイルが、常に現場に出かけ、ナマの写真を撮って、雑誌の数ページを構成するものでした。スタジオ写真家になることは、全く興味の外でした。
最近では、大学で教えつつ、日本のテレビ局のためにニュースとドキュメンタリー番組を作る仕事をしています。私の写真はと言えば、新旧さまざまの映像機器を駆使して試行錯誤をしながら、最近は白黒写真がほとんどです。
このギャラリーでご覧いただく作品は、私のキャリアを縦断して実に多様なジャンルにまたがっています。興味津津でお楽しみください。この全作品は、全て35ミリフィルムフォーマットで、機材は全てニコンです。私が自由にかつ柔軟に撮影に打ち込めたのは、実にこのコンビのお陰です。これでなければ、むつかしいどころか不可能だったでしょう。
私が関わった様々な仕事の現場では、技術的な、または状況的な「困難」は多々ありましたが、私はその過程をエンジョイしたものです。初めはライターと組んで仕事をこなし、やがて1980年代後半には、多様なジャンルで、ひとりで書くこと撮ることの両方をこなしてゆきました。
私に世界中を駆け回るチャンスを与えてくれ、仕事を発注してくれたのは主に日本の出版社でした。敢えて言えば、日本に来たからこそ、私は世界を知るチャンスを得たのです。
長きに渡り、私が手がけた雑誌掲載の大型写真記事だけが、私の特別な「ギャラリーショー」のエッセンスだとうぬぼれていました。しかし最近、「もっと積極的に広く人の目につくようにしてはどうか」と知友から忠告され、ここにウェブ公開することにしました。
同時に、このサイトで私の写真展やイベントのお知らせもしますので、ご興味あれば、時々は本頁の'Selected Exhibitions and Events'をチェックしてくださいますように。
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マイケル E. J. スタンレー